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スケールとは?/ レイク

[ 840] スケールモデル - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB

スケール(Scale)とは英語で縮尺、比率を指す用語である。実在するものを忠実に再現する模型をさしてスケールモデルと呼ぶことが多い。研究・展示などの学術的目的で作られた模型にも用いられる。この用語には「実物を忠実に縮小した」という意味が込められているので、より正確な模型という印象を持たせるために用いられることが多い。狭義には実在のものがあるプラモデルの呼称として用いられる(一部例外あり)。
縮尺率はその目的に応じて決められる。NASAや航空機メーカーでは新型機のモックアップを作り風洞実験を行ない翼断面の性能検査や荷重、応力の検討を行なうがその際には風洞に入る縮尺率で作られる。また、スペースシャトルの開発では降下実験のために1/2スケールの模型(モックアップ)が作られている。性能検査のためには実物大模型が用いられることも多い。また建築模型などは1/100など計算が容易な縮尺で作られることが多い。これは目的がクライアントへの説明となっているためである。
プラモデルやミニカーで言うスケールは、ジャンルによってまちまちであるが国際スケールと呼ばれる規格がある。 主なスケールとそのジャンルは概ね以下の通り。 (建築物等に事実上統一スケールが存在しないものに関しては割愛する)
田宮模型(タミヤ)の1/35戦車シリーズ及びMMシリーズと呼ばれる独自規格から発展した標準規格。戦車にモーターライズ機能を持たせ縮尺を出したら1/35相当(田宮模型の仕事等の田宮模型関連書籍によると正確には1/32だったという証言もある。)になったことから発生。もっとも開始当初の1/35戦車シリーズには、上記の理由から1/32相当のモデルも1/35としてラインナップされていた。欧米では1/32が標準であったが、MMシリーズの大規模な展開により国際的にも認知され、1970年代後半からイタリアのメーカーも1/35で参入し、以後事実上の国際標準スケールとなった。そのため戦車模型の世界はキットに限らず改造パーツ、アクセサリ、製作技法や方法論に至るまで1/35スケール限定という状態が長年続いていたが、近年は海洋堂のWTM(1/144)やタミヤの1/48MMシリーズの躍進により状況が変化しつつある。キャラクター模型としては1980年代半ばにタカラがミリタリー色の強い作品『装甲騎兵ボトムズ』で採用しているが、近年バンダイからリリースされたガンプラのひとつ「U.C.ハードグラフ」は、そのスケールモデル的な造形とともに注目を集めている。
1/100は田宮模型が初期に航空機モデル用に採用したスケールで、木製航空機ソリッドモデルの国際標準スケールである1/50の半分である。1/144はエルエス、クラウン、三共、オオタキなどのミニスケール航空機キットの共通スケールであった。後に1/60、1/100、1/144はバンダイがガンプラのスケールとして取り入れた。しかし作品によってはキャラクターのサイズに差がありすぎて、スケール表記はあっても事実上の箱スケールとなり、並べることができない場合もあった。また食玩のスケール物では海洋堂のWTMなど1/144の採用が多い。
1/150は三共模型のピーナッツシリーズのスケール。いわゆる箱スケールであり、パッケージのサイズに合わせて設定された後付けのスケール。単価が安く作れるサイズなので、オオタキやエルエスなど初期のプラモデルメーカーが数社、航空機模型を中心に採用していた。オイルショック以降、エルエスは古い1/150キットを1/144表記に変更(新作はもともと正しく1/144)した。それぞれ時期は異なるが、同様に日本模型の1/70、エルエスの1/75も1/72表記に変更されている。
1/150はまた、日本型Nゲージ鉄道模型に採用されているスケールでもある。世界的にみてNゲージのスケールは1/160が一般的であるが、Nゲージの線路に狭軌の日本型車輛をNゲージサイズで模型化して(特に蒸気機関車の下回りが)不自然にならないようにするため日本では独自のスケール1/150を用いる(ただし新幹線車輛は例外として1/160スケールである。)。このような事例は零番ゲージ(Oゲージ)の日本型蒸気機関車の縮尺規定に始まり、日本型16番ゲージ(日本型HOゲージ)鉄道模型も新幹線を除き1/87スケールではなく1/80スケールを採用している。近年になり鉄道模型の情景用にも使えるように自動車模型などにも1/150スケールや1/80スケールを採用する製品も現れている。
プラモデルにおけるスケールモデルは正確な縮尺、というイメージで捉えられがちだが、実際のものをそのまま小さくしてもそのとおりに見えないことが多い。これは車や列車、航空機など人間よりもはるかに大きいものを視認する際に手前が大きく奥が小さく見える遠近法の原理で歪んで見えているためである。そのため各メーカーは縮小の際にある程度のディフォルメを行なう。商品としては正確に縮小されていても実物と似ていなければ失敗作となってしまうからである。例を挙げるとフジミ模型製の乗用車の車両側面がそれである。縮尺は比較的正しいが胴長に見える。また、長谷川製作所製の隼にも同じことがいえ、縮小比率的には正しいが、日本模型製のボディーラインの方が実機のイメージを捉えているといわれている。また縮小する過程において小さくなり過ぎて再現が困難な部品や金型の都合で形状の変わる部品などが発生することも珍しくはない。そのためスケールモデルも実在のものを通じて個人の持つイメージを投影させる模型なのではないか、という意見もある。そのため実物の存在していない航空機や戦車などのスケールモデルも存在している。
模型にふさわしいスケール、に関しては論議になることが多い。あまりに小さいスケールでは縮尺そのものの意味が失われるのではないかという指摘もある。例えば1/144で言えば1メートルはおよそ7mmとしかならない(製品素材の収縮や劣化により2〜3mm違っただけで30cm以上の差が生じることなる)。が、現在主流のスケールももともと模型の出来映えやコレクション性に基づいて生まれたものではなく、設計の容易さ、設備の性能などから生み出された規格である。また、製作対象によっても左右される。自動車模型ではワイパーやメーターなどの再現のために1/24や1/16などの大きめのスケールが好まれるが、ミリタリーモデルの主流である戦車をそのスケールで作るとなるととんでもない大きさの高額商品となってしまう。また鉄道模型においても走行させて楽しむため、住宅事情等に合わせてさまざまな規格があり、一概に結論は出ない。
この項目「スケールモデル」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。
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[ 841] スケール
[引用サイト]  http://www.binary-id.net/dtm/composition/scale.html

「調」の解説ではダイアトニック・メジャー/マイナー・スケールを,「和声」の解説ではマイナー・スケールの応用としてハーモニック・マイナー・スケール(和声的短音階)とメロディック・マイナー・スケール(旋律的短音階)を紹介しました。しかし,このページをご覧になっている方の中には,「止めどなく涙が流れるようなブルースを作りたいっ」とか「様式美を追求したいっ」などとお思いの方も多いかと思います。
今まで説明したスケールで作れる曲は,ロック・ポップスなどの現代音楽のみです。ジャズ・ブルースやクラシックをやるには,もう少し,それぞれのジャンルに特有な「スケール」を勉強する必要があるようです。と,言いましても,筆者(とっしー)自身,もっぱらジャズ・フュージョンを専門にしており,クラシックのこと等はよくわかりませんので,ここでも,簡単なスケールの紹介に止めておくことにします。
7音階のスケールとしては先に説明したダイアトニック・スケール等が典型例ですが,このダイアトニック・スケールの開始音を変えることで,別の7種類のスケールを作ることができます。例えば,Cダイアトニック・スケールとDドリアン・スケールの関係はというと・・・。
モード・スケールは,これを用いて曲を作るとか,そう言った意味での「スケール」ではありません。あくまで,コードを基礎とした分散形としてスケールであり,フレージングやアレンジの為に用いられます。
モード・スケールは,「アベイラブル・ノート・スケール」として説明されることがあります。例えば,Cダイアトニック・スケールのDm7コード上では,Dドリアン・スケールが使用できる,といった感じです。とは言っても,Dドリアン・スケールの構成音はCダイアトニック・スケールの構成音と全く同じなのであり,こういった考え方がどれくらい意味を持つのかは疑問の余地アリです。むしろ,モード・スケールは,「コードを分散したスケール」であり,ノン・ダイアトニック・コードにいかに対応し,フレージングを決定していくか,の観点で活用するのが良いかと思われます。
例えば,Cメジャーの曲でA7thコードが使われる場合,ドミナント7thコードに親近性のあるオルタード・スケール(ここでは,Aオルタード・スケール:後述)を割り当ててフレーズを作る,といった具合です。と,説明すると,「なんでいちいちオルタード・スケールやねん!Aミクソリディアンでいいやんか」と言われてしまいそうですね。それも確かに手なのですが,Aミクソリディアン・スケール=Dダイアトニック・スケールということになるので,転調感が強すぎるというか,フレーズが曲調から浮いてしまうおそれがあります。
全てのディミニッシュ・コードの基盤となる原則的なスケールです。・・・,またまた,中途半端に斜線を使ったわかりづらい図ですみません(汗)。
画像を用意するのが大変だワ・・・。その他の7音階のスケールとしては,調性上ドミナント・コードやセカンダリー・ドミナント・コードの基盤となるスケールが挙げられます。
メロディック・マイナー・スケールを4度から並べ直したスケール(上図はGメロディック・マイナーに対応)。リディアン・スケールの7度をフラットにしたスケールと考えるとわかりやすいです。
っていうか,そんなん,ハーモニック・マイナー自体がドミナント5度を補うスケールやねんから当然やん!と,言われればそれまでですが・・・。スケール理論としてこのドミナント進行を覚えておくことには,それなりの意義があります。つまり,曲自体がハーモニック・マイナーではない普通の調性であっても,例えばセカンダリー・ドミナントからマイナー・コードへ帰着したいときに,このスケールが「アベイラブル」になるわけです(ドミナント進行でメジャー・コードではなくマイナー・コードに帰着したい場合,先行のドミナント6度(13度)が帰着先コードの3度になるため,メジャー・コードならば13th=M3th,マイナー・コードならば♭13th=m3thが選ばれる)。
この図表で覚えるのは,あまり良い方法とは言えないかも知れません。あるディミニッシュ・コードと長2度下のディミニッシュ・コードとの組み合わせで出来ているわけですから,先ほど紹介したディミニッシュ・コードにおいて,Cディミニッシュ・コードは「Cdim+Ddim」なであり,これを「D」から並べ直せば得られるスケール,と覚えておくのが良いでしょう。
帰着先コードの3度(ドミナント7thの6度)でメジャー・マイナーを区別してみました。この他にも,例えばメジャー・コードに帰着する場合は7度の音程でsus4が使えるかどうかが決まったりします。結局は,ドミナント7thと帰着先コードのスケール両方を吟味してやる必要があるわけですね。
このスケールを用いてフレーズを作れば何でもかんでもブルースになるのか,というと,どうもそうではないらしい・・・。やはり基本はダイアトニック・スケールですから,例えばCメジャー・ペンタトニックでのフレージングの中に,ちょろっと短3度を織り交ぜてやる(こういうのを,ギターでは「引っかけ」というらしいが),といった使い方が効果的なようです。
ペンタトニック・スケールは5音構成のスケールで,五音音階と呼ばれます。おそらく,ギターを始めた人が,一番最初に覚えるスケールでしょう(筆者もそうでした)。ギターでは左手のポジションがわかりやすく,また指板上の複数の位置で,同一スケールをキープ出きる為,初心者に大変わかりやすいのです。更に,そう言った性質から,ギター・ソロ等のアドリブ・フレーズに大変役立ちます。
古くは,民族音楽の基盤スケールとして親しまれてきたものですが,現代音楽でもポップスからロック,演歌,フュージョン,ジャズに至るまで,アレンジ次第で何とでもなってしまいます(笑)。と,言うことは,逆に,一歩間違えれば,軽快なポップスのハズが拳の入った(?)演歌の曲になってしまったりもするので,気を付けましょう。自由度が高い分,意外にセンスが要求されてしまうのですね。

 

[ 842] art random - 人生のセイムスケール
[引用サイト]  http://art-random.main.jp/samescale/index.html

★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」
★「もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。したがって社会の様相も一変するだろう。そして歴史そのものが一変するだろう」
★「自分と他人との差は一歩だ。しかし人は永遠に他者になることは出来ない。自分と死者の差は無限だ。しかし人は今の今死者になることも出来る」
★「人はいずれ死にゆく存在であり、いっときの延命を騒ぎ立てるより、病を通じて人生の神髄を体得していくことの方が人間として崇高なのではないか」
★「人は生まれてくるとき世界はみんな私のものだと言わんばかりに手を握りしめているが、死ぬときは、ほらごらんなにも持っていかないよ、と言わんばかりに掌をひろげている」
★「心臓が15億回打つと、ゾウもネズミも私たち人間も死ぬ。一生に心臓が打つ回数はほぼ同じだそうである。---人間の場合は40代で打ち終わるのだそうだ。人類の長い歴史を通じて、本来の寿命はそのくらいだった。50歳以降の老いの時間は、自然界には存在しないもので医療技術などにより人為的に作られた、いうなれば“おまけの人生”」
建築の世界では、新しい建物を計画する際、よく知られた古今東西の建物の平面図や立面図を同じサイズ、スケール(縮尺)で並べて空間の大きさや高さ、そしてコンセプトを比較するセイム
ボクも処女作「仙録苑」が竣工したとき、その処女作とサンピエトロ寺院やコルビジェのサヴォア邸など古今東西の名建築とのセイムスケールのドローイングを記念に作成しました(図-1)。これから建築の世界で生きていくささやかな宣言でもあったかもしれません。25歳の時でした。
古今東西・老若男女の「存在と精神の系譜」を編年体でも、アイウエオ順でも、概念別でも、分野別でも、地域別でもなく、かといって恣意的な序列や順序、ランキング形式(ベストテンとか千夜千冊とか)でもない、この世に存在した生涯日数のみで再配置してみるというもの。それによって絶対的歴史年やジャンルの枠を飛び越えるのではないか。複雑な全人類史を単純な法則で再構築する。あらゆるヒエラルキーに抗する意味あるフラットな分類を目指して---。
勝手に二代目・風太郎として、その遺志を継ぐことにした。できうる限り、即物的にデータベースとして使えるよう二代目は方向転換。「質」より「量」である。ボクは大学の先生でも作家でもないのだからそれでいいではないか。「量」が「質」に相転移する日が来ることを願って「一千一人物語」を目指すことにあいなった。
一つのバイボは決して単独で存在しない。繋がっているバイボを次々と呼びあって一つの物語状のかたまりを形成する。
この箱さえ作っておけば、いずれボクでない誰かが、音楽や動画、そしてグーグルアースをつかって、出生地などをピンポイントで表示できるよう加上してくれるでしょう。「人セム」は人類の相続遺産なのだから。
そうした人生のセイムスケールを作り始めてみると、ある人とある人の不思議な縁(えにし)、意外な共鳴現象、思わぬ共時性が見えてきた。「人生のシンクロニシティ」である。享年の非因果的連結と呼び直してもいい。
例えばスポーツの沢村栄治、円谷幸吉、玉の海は27歳で急逝した。ロック界のブライアン・ジョーンズは心臓発作で、ジャニス・ジョプリンはヘロイン中毒で、ジム・モリソンは心臓発作で、ジミ・ヘンドリックスは睡眠薬の多量摂取でそれぞれ27年の生涯を終えた。ちなみに、尾崎豊も26年4ヶ月と26日の生涯で夭折。
幕末の京都に名をとどろかせた新撰組を組織し、初代隊長となった水戸藩浪士・芹沢 鴨は近藤方の手で謀殺され33年?の生涯。その芹沢暗殺を命じた新選組の局長・近藤
モーツァルトと正岡子規が共に35歳前後で他界している。洋の東西、何の関係もない二人だが、享年が同じというだけで何かがシンクロしてくると感じるのは私だけだろうか。モーツァルトは他殺説もあるが、35年10ヶ月と8日で病死。正岡子規は結核に侵された上、脊椎カリエスで寝たきりになり、34年11ヶ月と5日の生涯だった。
楊貴妃は安禄山の叛乱から玄宗と逃走中、宦官が絞殺され、マリー・アントワネットはフランス革命でギロチン処刑で共に37歳?の人生を終えた。ちなみにクレオパトラは、39歳でローマ軍との決戦(アクティウムの海戦)での敗北で自殺。
ルネサンス期のラファエロは性病を誤診され、誤った処置をしたため衰弱死、印象派のゴッホはピストル自殺で共に37年の生涯。さらに二人とも牡羊座だった。『イリュミナシオン』で知られるフランスの詩人ランボー
アンリ・マチス、サルバドール・ダリ、イザム・ノグチ、岡本太郎など偉大なる芸術家が84歳で他界している。詳細はわからないが、伊藤若冲も人生のセイムスケールを同じくしている。
逆に、夏目漱石と竹久夢二が同じ49歳で他界した意外な事実にも驚かされた。夭逝したというイメージの夢二の方が実際には1ヶ月半長生きしている。
これらの符合をすべて必然と思うほどオカルティックでもなく、すべて偶然と感ずるほどモダニスティックでもない。ここでの立場は、偶然と必然の淡いの中にあるとしたい。
人生を歩みだした無限の可能性がある若いあなたには「人生のハローワーク」として読んで頂きたい。時代と環境と遺伝子が織りなす関係性のモザイクを。いろんな生き方があること、あったことを伝えたい。また、ここにあるデータをさらに解体し別の場所へ連れて行ってくれることを楽しみにしています。
「人生のセイムスケール」は偉人伝ではないので、誰をノミネートしても一向に構わない。思想的な右左も宗教の別も関係ない。いわんや、善悪もである。茶席に合わぬ話題を並べた狂歌があるが、これと同じスタンスである。「わが仏、隣の宝、婿しゅうと、天下の軍(いくさ)、人の善悪」。唯一のルールは、この世から離陸しているという一点にあるのでございます。さりとて、隣のおじさんというわけにもいきますまい。
中には忠犬ハチ公や、日本最後のトキ・キン、サルの次郎などの動物や、シャーロック・ホームズなどの作中人物も含んでいます。またボクの個人史の中で忘れられない存在もあります。自分にとって大切な人、思い出のある人の享年をご自由に追加して下さい。「人セム」はオープン・ソースを旨とします。
ある時(重大な転換期)をもって「自分は死んだ」として書き込んでみるのもいいでしょう。人生はリセットできるのです。「リセット」とは“マッサラ”にすることではなく、「あらゆる関係性の再構築」に他なりません。リセットボタンを押して、引っ越しでもするように、何度でも人生をリスタートしてみませう。
歳と数え、そのあとは正月を迎えるたびに一つ年を加えていく数え方。新しい命が母のおなかに宿り、赤ちゃんは「十月十日」を、その胎内で育つ。実際には270日前後、生命の誕生と同時に、すでに母のおなかの中で人間として育てられている、との考え方から数え年がある。
ここでの生涯年数は満年齢、すなわち没年月日マイナス生年月日で統一した。閏年もあるので誤差もあるはずだが、そこまでは厳密ではない。生年月日、死亡年月日までわからないものは、単純に没年マイナス誕生年で割り出したため、実際の享年と最大で1年弱のくいちがいはあると思われる。ご了承いただきたい。
「人生のセイムスケール」は人生の生存期間による分類なのだが、生年月日、没年月日は書籍、新聞、インターネットから入手したもので○○暦と特記がない限り、それは西暦(グレゴリオ暦)であるものと見なして扱っています。
上記のよる閏年の補正もしていません。ボクは暦の専門ではありませんし、ボクの「おつとめ」の範囲を超えるものと思っています。ですから、あくまで人生の並木道の並木の順番を決めるアドレスと思っていただきたい。厳密を求める方は、チャレンジしてみてください。
とりあげた人物の年表、略歴、内容の多くは、書籍・新聞・インターネット上の様々な文章を引用、ないし参考にせざるを得ませんでした。それらの諸著書籍の文章に対して深く謝意を表すものです。
画像についても同様に書籍・新聞・インターネット上から入手したものです。(したがって、ほとんどの画像は私どもに版権は一切ありません)「許可なく転載を禁ず」以外の画像を使っていますが、さしさわりのある画像がありましたらご連絡下さい。削除し、他のものに差し替えさせていただきます。
すべての存在のプロフィールは、地図と同じように人類共通の情報インフラであると考えます。「人セム」は情報基盤であり地図作りと一緒であると考えます。
「人生のセイムスケール」(バイボ)の登場人物のイラストを広く募集します。いつの日にか分かりませんが、いずれ出版することを念頭に置いています。そのため著作権を侵害しない肖像(イラスト)がどうしても必要です。
ただし、モナリザのポスターに髭を付けただけのデュシャンの作品はありますが、写真を機械的に処理・加工しただけのものは不可とさせていただき来ます。(著作権的に)
バイボレーターはプロアマは全く問いません。30人集まれば一人100点、300人集まれば一人10点で3000点のバイボレーションになるのです。どこかの学校の美術の授業でやってみるのはどうでしょう。美術と世界史・日本史の統合授業になるはずです。さらに、現代国語と古典と英語も含めた総合授業になるでしょう。物理と化学も入ってきますね。そして、なにより「生きることの意味」を考えるきっかけになりませう。ご要望さえあれば、ボクと玉野安実は全国どこへでも協力に行く覚悟です。
本来ならば、プロのイラストレーターや敬愛する南伸坊大先生に3200人分のイラストをバーンと発注したいところですが、その夢も資金不足ゆえ叶いません。今は障害のある玉野安実嬢の細腕に一日一人のペースで頼る他ありません。そのためスポンサーも大募集です。
かつて建築家コルビジェは「設計---それは考えるに価することに秩序を与えることである」といった。しからば「人生のセイムスケール」を作り続けることも設計行為に他ならないだろう。
「都市の遊歩者」と呼ばれたベンヤミンの『パサージュ論』は重層的な範列性を特徴とする。この本の構造は、ほとんどが引用と思想断片からなっている。一種独特の形態をもったこの本は、本と呼ぶにはふさわしくなく、彼自身がそう名付けたように「仕事」と呼んだ方がいいようだ。
作家の森 絵都さんが書いている。「---やがてあの瞬間が訪れた。ぞわっとするような身体感覚を伴い、文章の一部に「ひどくしびれる」あの瞬間。リーダーズ・ハイとでもいうべきか---それを書いた筆者の感覚と、それを読む自分の感覚とが、まるでその隔たりをはねのけるようにして重なりあう。私が言いたくていえなかったこと。もやもやと胸に抱きながらも形にできずにいたことを、なぜこの人はこんなにも的確な、そして鮮烈な言葉に置き換えられるのだろうか?」。この「リーダーズ・ハイの感覚」は小説などの物語だけではなく、あらゆる情報の中にも潜んでいる。それらをすくい取っていきたい。
蛇足ながら、こうして総覧してみると、人生の幸福の量は一定であるとつくづく感じざるを得ません。何を幸福と呼ぶかにもよりますが、それでもあえて「人生の幸福の量・保存の法則」と呼びたい。これには反論もあるでしょう。
「幸福」という(「不幸」でもいいのですが)曖昧で主観的で、相対的な混沌に目鼻を付けたい、その概念を物質化したい。そこで、あえて「人生の幸福の量・保存の法則」というふうに呼んでみた。幸福の中身、量が計量できないなら、いや、できないからこそ、いっそ「人生の幸福の量・保存の法則」もあり得るのではないか。
ピカソの子どもマリーナ・ピカソを例に出すまでもなく、残された家族や遺族、関係を持った人々の思いを加味するならば、このことはさらに鮮明になることでしょう。
人生とは「サスティナブル(維持可能)な自由を求めること」だとボクは思います。安定した自由などこの世に存在しないから。サスティナブル・フリーダムを求めた存在と精神の軌跡として「人生のセイムスケール」は存在し、その1点においてのみ「人生の幸福の量・保存の法則」は成立するのではないか。
上部のタイムスケールから、お好きな年代を選ぶと、各年代のはじめの年齢のページに行くことができます。また、50音インデックスをクリックすると、50音順に並んだ人名の中から、お好きな人物のページに行くことができます。
★「あきらめずにいろいろな人生の選択肢を模索してほしい。---著者の林望さんが主張しているのは、貧乏が美しいのではなく、そこそこに働いてほどほどに生きるということ。拝金主義でも清貧の思想でもない、真ん中がいいんです」
★子ども時代を、カトリック系の施設で過ごした井上ひさしさんは、「この世は涙の谷」と教わったという。「99%は悲しいかも知れない。でも残りの1%の楽しいことを目指して行くのが人生。それには自分の好きなことを見つけることが大事」
★「毎朝鏡に向かって「今日が人生最後の日だったら、自分は今日するはずだったことをやっぱりしたいと思うだろか」と問うてみる。Noという日が何日も続いたら、何かを変えないといけないタイミングということ」
★「リチャード・ドーキンスは、人が遺伝的に受け渡される以上の知恵と財産を、長い保育期間やその後の人生を通じて伝達しあっている、それゆえに人類は繁栄を享受していると主張します」
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